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副業などのお話

会社を辞めますか?続けますか?

はじめまして。tomohiko37_i です。少し前にドメインを取得してブログを開設したのですが、いろいろ思うところがあって更新が滞っていました。ブログの方向性や自分自身のことなど見つめ直して、再出発のために改めて初回記事を書くことにしました。

はじめに

最初に私の自己紹介を兼ねて個人的なことをお話しさせていただきます。1977年生まれの41歳(2019年時点)です。独身の実家暮らし。母親と祖母と3人で東京の八王子というところに住んでいます。仕事はシステムエンジニアで、品川にある中小企業の会社員です。今のところ。

最近、この会社を辞めようかと本気で考えています。

昨年の12月30日から年明け1月初旬まで休みなく働いていました。年越しは会社で仕事をしながら。正月は会社の近くのホテルに泊まり込んで自宅には帰らずに仕事に打ち込んでいました。誤解のないように言っておくと、会社に強制されたのではなくホテルを取ってくれるというので自分から泊まり込んで仕事します、と手を挙げたのです。だからブラックな企業ではないと思います。グレーくらいかもしれませんが。

1月の前半が終わり、土日も出勤しましたが代わりに平日に休みを取ったりして一応は休日はありました。だから黒くないと思います。ただ、後に書きますがシステムエンジニアという職業をやっている特性上、緊急で対応する仕事や夜遅くまでやらないといけないことが多く、休みの予定でも返上して出勤しないといけないことが度々ありました。そして1月の後半に差し掛かった時、ふとこれまで張り詰めていた糸がプツンと切れた感じがしました。

「あ、だめかも・・・」

自宅に帰ってきて猛烈な不安と焦りに襲われました。何かに追い詰められるような恐怖。私は翌日から会社に行くことができなくなりました。

システムエンジニアという仕事

少し触れましたが、私の職業は「システムエンジニア」です。いわゆるSEという職業です。どのようなイメージがありますか?プログラマとかシステムエンジニアというと「夜遅くまで仕事」「休みなし」「IT土方」というイメージが多いと思いますが、確かにそんな感じです。高校から大学、就職とレベルは中級ですがすべてストレートで来たので、浪人も留年もなく大学を卒業して就職しました。2000年のことです。ちょうど、森博嗣さんという作家さんの小説「すべてはFになる」のシリーズ、いわゆる「理系ミステリ」を読んでいた頃で、プログラマという存在に憧れていました。

大学でも物理学を専攻していて典型的な理系だったので、就職先もほぼシステムエンジニア(プログラマ)で一択でした。周りの友人たちも同じような職業に就くか大学院へ進学して研究職になるかどちらかでした。ひそかに研究職への憧れもあったのですが、家庭の事情で大学以上に進学は経済的に厳しく就職をしました。それでも憧れていたプログラマという仕事で満足していました。時代も時代でしたから入社してからも連日徹夜だったり、休日もなく仕事をしたり、昨年から今年にかけての年末年始のような働き方が珍しいというわけでもなく、しょっちゅうそのような働き方はしていました。

20代の頃は疑問もなく「これがSEだよ!」と思いながら働いていました。忙しいことに満足していましたから別に不満もありませんでしたし、おかしいとも思っていませんでした。ある意味幸せだったと思います。今思い返しても後悔していません。あの頃は全力で仕事をしていましたし、SEとして会社やお客様からも評価していただいていたのでそれなりに成果も上げていたと思います。30歳になってすぐ課長に昇進しました。小さい会社なので管理職といっても若いメンバが多いです。これまでの自分のやってきたことが認められた気がして嬉しかったです。お客様からも過分な評価をいただいていて、たぶん私の人生のピークというか絶頂期であったと思います。

休職と復職、そして新天地へ

36歳の時に鬱病になりました。2013年の11月の終わりです。管理職という立場上、お客様に見積もりなどを出してお金の交渉をすることが度々あったのですが、なかなか厳しいプロジェクトに参画しており、会社の上司と何度も見積もりについて見直しをしたり、上司から叱責を受けたり、お客様から無理難題を言われたり、様々なストレスが積み重なってある日突然会社に行けなくなり、職場の最寄駅で降りてから会社とは反対方向に歩き始めました。

そのまま川崎駅の近くにある心療内科に電話して運良くすぐに見てもらえることになり、医師の先生からはすぐに会社を休むか辞めるかした方が良いと診断書を書いてもらう状態に。

会社に連絡して上司と外で会い、そのまま1ヶ月くらいはまず休職することになりました。結局、回復するまで3ヶ月かかり、2014年3月にようやく復職できました。復職後は管理職を退き、年下の後輩が上司となりその下で仕事をすることが多くなりましたが、以前の重圧からは解放されて精神的に楽に仕事ができるようになりました。

その後、2015年4月に会社が島根県に新たな開発の拠点を出すということで、自ら志願兵として参加します。最初はまた責任者として赴任したため精神的に辛いことが多く、何度か「退職」の文字が頭をよぎりましたが、仕事の関係で半年くらい東京に戻ることが決まり、少し年上の中途入社の方に責任者の立場を引き継いだため、東京での半年の仕事を終えて島根へ戻っても精神的には楽な状態で仕事を続けることができました。

再び襲われた将来への不安

2017年の夏には島根県から東京の勤務に戻りました。一定の期間で元々戻ることを約束していましたし、東京の実家の母親と祖母もいい歳なので心配になっていたのが主な理由です。そして、冒頭の話に戻ります。昨年末から今年の年明けにかけてハードワークで体調を崩し、1月の後半に出社することができなくなりました。どうすることもできないほどの焦りや不安、焦燥感に襲われたのです。

「明日、前に通院していた心療内科へ行ってみよう」

そう思って会社を休み、病院へ連絡を入れました。しかし、以前通院していた時からは数年経過しているため初診扱いになるということで、初診だと一番早くても一週間後でないと受診できないと言われました。正直、最後の心のよりどころと思っていた病院に断られたことで絶望感がものすごかったのを覚えています。自宅の近くの心療内科やメンタルクリニックなどにもあたってみましたが同じように今日いきなり、ということで見てもらうことはできないとのことでした。そもそもこういった「心の病」というのは突然やってくるものなので一週間後とかに先延ばしされるのはきついのですけどね。

そして会社と話をして自宅での作業を許可してもらいました。この辺はシステムエンジニアの利点ということで、セキュリティ的なことに気を付けておけば仕事自体はインターネットの環境があればどこでもできます。多少は他のメンバーとのコミュニケーションがとりにくくなりますが、もともとはSlackというチャットツールを使ってやっていましたので自宅からでも同様にやりとりができます。会社からパソコンを送ってもらい自宅での作業を開始しました。ところが、やっぱり自宅で仕事をしていても焦燥感に襲われるのは変わらなかったのです。

それはそのはず。仕事の内容が変わっていなくて単純に場所が変わっただけですから。

決意

この記事を書きながら決意を決めました。会社を辞めることにします。心療内科の先生とは過去に通院していた時も話をしたのですが、仕事によってストレスが蓄積されて鬱の症状になった以上、仕事から離れない限りは治らないと言われてました。

その言葉はとても納得のいく言葉でしたし、それにより過去に通院したときはすぐに休職して療養したのでした。会社の制度上、一度休職しているので再度行うことはできません。次に同じ症状になったら辞めるしかないな、とは思っていました。今回、再び同じ状態になり、おそらくここで少し休んで回復したとしてもまたいずれ同じことを繰り返すのではないかと不安になります。

すぐに辞めることができるか会社との話し合いになるとは思いますが、辞めます。将来への不安がないわけではないのですが、よく考えれば上にも書いた通りまた鬱の症状を繰り返すリスクはあるわけで、今の会社に所属したままでも将来への不安は残るわけです。

どんな生き方をしていくのがも含めて考えていきたいと思います。将来に向けての布石はひとつ始めていることはあるので、その話は次回に。